福智クリニック 福智寿彦
武蔵病院、てんかんセンターでの研修、愛知医科大学、民間病院勤務をへて5月26日に開業した。民間病院を辞めてから開業するまでの1ヶ月間に休暇を取り、南アフリカとインドネシアに行ってきた。メインは南アフリカのつもりで、帰りに友人のいるインドネシアに寄る程度の計画であったがご存知のように、ついでのはずのインドネシアの方が印象深い旅行となった。
4月26日に名古屋を発ち、ケープタウンへ。ヨハネスブルグは世界で最も治安の悪い町の一つで、主要な企業や官庁はダウンタウンからほとんど移動してしまっているそうであり、今回は見送った。南アフリカは最近まで人種隔離政策をしていた国ではあるが、東洋人の私が歩いても他の国に比べて特別な違和感は感じられなかった。アメリカの南部のほうが未だ閉鎖的ではないかと思われるほどであった。ただし、治安の問題もあるのかショッピングセンターや、劇場での夜間のセキュリティーチェックは厳しく、ホテルマンや駐車場の警備員に不快にさせられたことは何度かあった。また、白人で豊かな人の出入りする港の近くのショッピングモールは、特に厳重なチェックがないにもかかわらず黒人の姿はほとんど認めなかった。自然に住み分けが出来ているのかもしれない。政治は黒人が司っているが、経済はほとんど白人が牛耳っている。しかし、熟練工や、技術取得者は黒人に多いようで中間層は黒人が多く、犯罪に走ったりホームレスになっているのは技術や資格を持たない白人が多く、時々職をめぐって黒人とトラブルになっているそうだ。
レンタカーを借りて、喜望峰を回り海岸線沿いに東へ走り、オッヅホーンというオーストリッチ生産で有名な小さな町を折り返し地点に、内陸寄りにケープタウンへ戻る1週間ほどの旅行をした。都会は英語表記で、途中通過した町のほとんどがオランダ語表記であった。ほとんどのレストランやホテルでの賄いは黒人であったが、アメリカで感じるような威圧感はなく、友好的で世話好きな話し易い人が多く、白人よりも黒人のほうが人付き合いは上手そうな印象を受けた。これは、人種隔離政策によるコンプレックスよりも、黒人本来の陽気さ故か。
治安のよくないと言われる南アフリカを終えて、友人のいるインドネシアのバンドンへ寄った。経済危機に関しては日本でも連日報道されていたし、スハルト政権が希にみる長期政権で親族で権力を掌握しているという情報は得ていたが、まさかこんな事になるとは思わずゴルフグラブ持参で呑気に出かけた。友人は日本企業の現地合弁会社の工場長をしており、一般の人よりも早くに正確な情報が得られる立場にありながら、ゴルフクラブを磨きながらジョグジャカルタ国内旅行の計画を呑気にしていた。ジャカルタに到着してからは王様のような生活で、お抱え運転手に高級ホテルでの食事、大邸宅にメイド、毎日のようにゴルフに遊びに、決して日本では味わえない様な脳味噌がとろけてくるような毎日であった。反政府の学生運動が盛んになってきていて、さすがにジョグジャカルタ国内旅行は中止にしたが、もし行っていれば間違いなく新聞を賑わした最初の学生暴動に巻き込まれて、中華系に間違われてトラブルになっていたであろう。
貧困は凄まじいものがあり、公務員の給料では一人の人間が食べていくのがやっとで、職にありつけない若者が町に多くたむろしていた。友人宅で以前働いていたメイドは、優秀であったそうだが皿を1枚割ったことを苦にして逃げてしまったそうだ。アジア全体の経済危機のためもあるがインドネシアの場合、スハルトが一族で国家予算以上の金を着服していることが大きな原因だそうで、長期独裁政治がインドネシア政治経済をだめにしているようである。その現実を自分の眼で見て、5月13日の空港が封鎖される直前に日本に帰ってきた。学生や市民の熱い思いに緊張感と興奮を覚えた。
日本に帰ってきて、サッカーや相撲で盛り上がっている新聞を読み、平和な日本に生まれた幸せを感じていた。また、目前に迫った開業の準備の忙しさにかまけて人種隔離政策や独裁政権について考える時間もほとんど無く日常業務に没頭した。開業の第一の目的である大規模デイケアのプログラムをあれこれと考えている時に、自分も好きなコンピューターゲームを、何らかの形で取りいれられないかと漠然と考えていた。自宅に閉じこもりがちな患者さんをデイケアに参加させるための一つの方法としてフアミコンゲームが使えないかと考えていた。
そんな時、忙しさにかまけて顔を見ていない甥の7歳の誕生日に、地球儀のプレゼントを持って姉宅に出掛けた。1週間ほど前から甥の催促のメッセージが留守番電話に入っており、プレゼントが遅くなったお詫びに途中に寄ったコンビニで花火セットを買い、姉夫婦にはアイスクリームを買い、喜ぶ顔を期待して出掛けた。
姉宅に着くと、仕事で疲れた顔の義兄が扉を開けてくれた。姉は、今度新たに開く文化教室の生徒が集まらないとの事で、2階で半分泣き顔で電話をしまくっていた。その日は最後までほとんど顔を出さなかった。夕食の準備も出来ていないとの事で、義兄がスパゲティカルボナーラを作ってくれた。作る途中で圧力釜で怪我をしそうだったそうだ。当の甥は、誕生日プレゼントの包みを見せても前日に父親が買ってくれたスーパーフアミコンのワールドカップサッカーゲームから全く目を離さなかった。父親の促しで渋々フアミコンの手を休め、包装紙をビリビリ破いて地球儀を取り出しても、ほとんど関心を示さず再びゲームに戻ってしまった。彼は、地元のサッカークラブに所属して練習しているが体はでかくても気が小さく、ボールが近くにきても取りに行こうとせず、自分より小さい子の後ろを飛び跳ねながら走っているだけである。しかし、フアミコンゲームの上では父親や私よりも早くボールを取りに行き、素早いドリブルでシュートを決め、ロナウドよりも点を稼ぐエースストライカーだ。以前、武蔵病院で研修していた時に大沼悌一先生の症例で音楽原性てんかんの症例を詳細に診させていただいた事があった。それは、テレビ番組の決まったある歌になると嬉々として番組に集中し、歌にあわせて喜びを表現するが、次第に全般性強直間代痙攣発作に移行した症例であった。その子の眼付きと同じものを甥の眼にも見た。甥の眼は、本当に生き生きとしていた。
私は、せっかく買ってきたから無駄とは思いながらも甥を花火に誘った。花火の後でフアミコンを一緒にやるという条件で渋々彼は、玄関先に出て来た。花火はどれも小さいものばかりで打ち上げ花火などはなかったが、彼は花火を怖がりほとんど私や義兄のするのをつまらなそうに見ているだけであった。花火が終わると再び嬉々としてフアミコンゲームに戻っていった。
日本人には環境ホルモンの影響かも知れないが、野生的な何かが欠けてきているのではないか?何が大切で何がいけない事なのかの判断基準に間違いが生じてきているのではないか?フアミコンをやらない子はほとんどいないであろう、しかし彼らが青年になった時に南アフリカやインドネシアの青年達と対等に渡り合えるであろうか?ワールドカップのジャマイカ戦を見てその思いが強くなった。人種隔離政策や独裁政治よりも危険なものが彼らを支配してしまっているようだ。
デイケアで、フアミコンを導入する事は止めた。
久しぶりの線香花火の美しさに、精神科、心療内科クリニック開業に向けての闘志がふつふつと湧いてきた。
