福智クリニック 福智寿彦
私は、名古屋で精神科クリニックを開業し4年目。1日中外来診察に従事する一方、精神科大規模デイケアで40名ほどの患者さんが通ってくる施設を運営している。
最近対応する患者さんの訴えに、医師の人生観、社会性を問われていると感じることがたびたびある。これは、うつ病といえるのか?これは、人格障害なのか?正常なのか?正常なのであればどう対応すればよいのか?それとも、新しい疾患概念を必要とするような病像なのか?と対応に苦慮する。ここ2〜3年に特に多くなってきたと思われる。
ほぼ共通する症状は、"社会にはうまく適応していて特に問題を周りから指摘されない、会話内容や風貌からは知的な印象、皮肉屋風でもなく素直そうに見える。学歴は高かったり偏差値の高い学校に在籍していたりする。会話は流暢、自分ではうつ的な悩みは訴えない、趣味は楽しめる、家庭生活にも特には問題ない、社会情勢含め世の中のことにも興味はある。夜も眠れるし食欲もあり、結構グルメであったりもする"。
では、なぜ彼らはクリニックを受診するのか?
それは、"漠然とした将来に対する不安感、何をしていいのか分からないと。過去に対する不信感、無力感、疲労感。癒されたいという漠然とした思い。それらをどこでどう表現していいのか分からず、とにかく受診してみた"と言う。そして、彼らは毎週のように何かの答えを求めて規則正しくしかもかなり長期間通院してくる。年齢は10代後半から50代半ば。多いのは25歳から45歳。男性が圧倒的に多い。
表情は疲れているようでもあり、しかし笑顔も見られ、それが不自然な笑顔でもない。時々集中力を欠くようでこちらの質問を聞き返すことが多い。
軽いうつ病もしくは仮面うつ病と異なるのは、いわゆるうつ症状らしきものも認めず身体化症状も見られない点である。そして訴えることが、「今まで正しいと信じてきたことに対する不信感、今までの人生の生き方への疑問、そして今何をどうすれば良いのか、今後何を信じて生きてゆけばよいのか」ということを中核とした訴え。ゴミ箱診断では神経症。
精神医療はフィールドワークである。社会の情勢につれて医療の側の対応の仕方も変わっていかなければ絵に描いた餅になってしまう。経済情勢が悪化し、戦後最悪の失業率、就職難、リストラ、デフレ、厳しい金融政策、そして医療制度改革。いままで、会社のバブルの処理に追われてきた人々が気付いたら会社の建て直しだけでなく日本国全体に大火がついていた、見て見ぬふりをしてきたものが外国からの評価の低下で現実のものになってきた。一流企業やベンチャーキャピタルに就職していた人が、ボクシングで言う12ラウンド開始早々どこから来たかも判らないようなアッパーカットで突然解雇される。解雇されなくとも、今まで何とか生き残ろうとがんばっていた人たちがボディブローのようにじわじわと効いてくる金融破綻に底知れぬ恐怖を感じている。賞与なし、残業残業でフットワークもままならずパンチを受けなくとも自滅寸前。何と戦っていいるのかさえも分からないシャドーボクシングを繰り返す。
私の同級生の40歳少し前が集まり錦に遊びに行っても、話すことは暗いことばかり。特に一流大学を出て商社、銀行、生損保、ゼネコンに就職した男は話す気力もなく疲れている。骨抜きにされてしまっている。こちらが遊びに誘うのもためらうほどに。
今まで機能してきた日本のシステムが機能不全を起こしている。事実日本国はいまや貧しい国だ。しかし、表面的に右肩上がりの経済成長の余波の豊かさにごまかされている。医者や弁護士、政治家はまだ気付いていない。ごまかされていると気付いているのは先程の同級生らの様な仕事に従事している人間達だ。だから彼らはがんばっても豊かさを感じられず無力感にさいなまれる。銀座でブランド品を買い漁る人たちが気付くにはもう数年かかるのかもしれない。
我々1960年代の人間はそこそこの貧しさを知っている。食べるものに事欠く貧しさではないが、物が無い、良い物を手に入れたい、がんばればそれが手に入り豊かになるという感覚があった。それで親達は教育熱心になり少しでも良い大学へ、良い就職へと働きかけ、子供であった我々も漠然と、今がんばれば将来楽できるかな位の思いは持てた。それが今になり否定されつつある。試験で1点でも多く取るために失ったものも大きかったことに今気付かされるとは誰が予想したであろうか。
我々より上の世代の本当の意味の貧しさを知っている人達は、それ故に豊かさも感じられる。その世代からすれば、我々より下の若い世代は豊かな社会に生まれたのに"甘え"ていると見える。しかし彼らは、我々のパラダイムに乗せられて学生時代を走ってきたのにいざ社会へ出たら否定され、貧しさを知らないが故の豊かさを享受できない不幸に直面しているのである。
先日、医師である義兄と甥っ子の話をした。甥っ子は、漆山会誌9号のエッセイに少し登場させて頂いた。その彼は、はや小学5年になり、有名私立中学に入れるため塾に行かせることになったと義兄は言う。「今後どの職業が良いのか分からない、医者や弁護士も彼らがなるときには過当競争で欧州のように食っていけない人がたくさんいるであろう。一流企業もキャリアで判断しなくなり就職は難しいであろう。しかし、だからといって親としてただ子供をゆとり教育の中に埋没させることはできない。親としてやってやれることをする。いまさらアジア、南米の貧しい国の子供たちのように、生きることにたくましくなる様に育てることはできない。塾に行かせて、要領よく効率よく質問に答えられる優等生をつくることになってしまうのだが…」と言う。
若者の問題、経済の問題、日本社会の問題が同じ原因で引き起こっている。今後、日本が貧しくなるのは避けられないであろう。しかし、その時各個人個人が人生の意味を他者からの評価でなく自分オリジナルの評価で納得できるような精神的な豊かさを持ちえているか否かが、その人の幸福度に関係してくるのであろう。そう思う私もシャドーボクシングを今日も続けている。